わが家は現在、
テレビのない生活を続けているのですが、つくづく「テレビは共通語」だと感じることがあります。
やはり職場などでの会話ではテレビで得た情報を基にしたものが大半なので、「共通の話題」という意味ではそうなのですが、子育てを通じて特に感じるのは、表現方法という観点からの共通性なのです。
以前にも書きましたが、ムスメが生まれる以前の私は、デーブ・スペクターほどではないにしろ、無類のテレビっ子として生きてきました。
当然コトバや考え方などはテレビに影響を受けまくっているワケなのですが、テレビを見る時間の多少にかかわらず現代の日本人がテレビから受けている大きな影響とは、「会話時におけるコミュニケーション方法」ではないでしょうか。
たとえば人と話すとき、私たちは普段から無意識のうちに「テレビから得た」間(ま)を計りながら会話をしているはずなのです。
しかし私がムスメと話す際に感じるのは、テレビのない生活しか知らない彼女の間(ま)は彼女のオリジナルであり、私たち「テレビを見ている人」のそれとは明らかに違うということです。
テレビで司会者やタレントが矢継ぎ早に言葉のやり取りをしているのを見ている私たちは、いつしかその表現方法を踏襲して会話をしています。
講演や会議などでもその表現方法で話されたほうが耳に馴染んでいるので聞き取りやすいと感じるでしょう。
つまりは、共通語なのです。
ものごとを多くの人に伝える場合には、ある意味記号化されたこのような表現方法が大きな意味を持つと思います。
その一方でわがムスメの間(ま)のように、その人の生まれもった表現方法も忘れないようにしなくてはならないと感じるのです。
円滑に会話を進める能力と自分の個性を表現できる能力。
どちらも大切にしていきたいものです。
私は前者しか持ち合わせていませんが。テレビっ子ですから。
- 2005/12/19(月) 23:33:28|
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うちにも強力なテレビっ子39歳がいるので,お互いプラトニックでいきましょう。
- 2005/12/21(水) 18:59:08 |
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