青空堂本舗

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事件について思う

つい最近、私の住む山口県で起こった殺人事件。
被疑者の男が19歳という年齢であったことから、彼の実名を報道することに対して、様々な議論を呼んでいる。
私個人の意見としては、正直どうでもいい。
被疑者の家の近所のモンはどうせわかってんだし。
ただ、彼の実名や顔写真を、事件とは関わり得ない日本全国民に向けて発信するのはいかがなものか。
日本という法治国家の下で、たかがいち週刊誌が法を飛び越えて独自の判断でそれを行うのはどう考えてもおかしい。
「少年」であることから、法律上「公開」できないはずの被疑者の身辺をマスコミ各社が取材して回る行為も、かなりいびつに思えてならない。
率先して法を守ってみせるべき立場にありながら、カンタンに法を破ってしまうあたりにマスコミ各社の思い上がりを感じずにはいられない。



このテの事件が起こると、被害者の家族から「自分の家族が殺されたのに犯人が生きていることが許せない」という声がよく聞かれる。
当然の感情かもしれないが、私は違和感を感じる。
「誰かが生きていることが許せない」という感情は(事件そのものの異常性を差し引いても)明らかに異常だ。
戦争がなくならない要因である「やられたらやりかえす」という動物的意識が常態化していることに危機感すら覚える。
私は実際に家族を殺されたことはないので、もしそのような事態に直面した場合にどうなるかはわからないが、相手を憎むことよりも、帰ってこない家族の魂と一緒に穏やかに暮らすことを選びたいし、そういう人間でありたいと願う。そして、それこそが人間がより人間的であるための考え方ではないか。
そういった考えから、今回の事件での被害者の両親の姿勢には深い感銘と尊敬を覚えるのである。



今回の事件での被疑者の少年が犯人であるなら、彼の犯した罪は限りなく重い。
本来なら、生きて、罪を償うべきところだと思うので、彼が亡くなってしまったことは残念でならない。
19歳という彼の年齢を聞き、自分が19歳のころを思い返してみた。
殺人者である(と思われる)彼と、そうでない私とで何が違うのか。
私がその年齢のころ、誰かに対する「殺意」というのは私の意識下には確かにあった。
自分の家族に対してすら、はっきりあった。
実行に移さなかっただけなのである。
ただ、そんな感情の綱渡りのような時期があったからこそ、現在の自分がいるのだと感じることは多い。
「殺意」を「実行」しなかったことで「憎しみは長続きしない」という答えを得たことも大きかったように思う。
無論、被疑者の少年が犯した行為について同情の余地はないが、やはり彼は、これからを生きるべきだった。



今回の事件の被疑者は亡くなってしまっているのではあるが、こういった事件の裁判において下された判決が「軽すぎる」と感じる向きが多いように思う。
刑の軽い・重いは別として、裁判所=法が下した刑期が、必ずしも満了されないことは大いに問題だと思う。
「無期」は「無期」であるべきだし、「10年」といえば「10年」であって然るべきであろう。
いろいろ事情はあるのだろうが、やはり犯した「罪」に対する「刑」であるのだから、生活態度や反省度合いなどは関係なく全うされなくてはならないと思う。

オンシャ?ナニそれ。



最後に、今回の事件で亡くなったおふたりのご冥福をお祈り申し上げます。

  1. 2006/09/08(金) 23:59:57|
  2. 戯れ言|
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